2012年1月23日月曜日

伍子胥列伝

私は中学生の時から史記を読むのが大好きで、今でもたまに読んでいます。

中国の春秋戦国時代は、凄まじい生き様の人が多いのが特徴です。

現代を生きる人間と同じホモ・サピエンスの作る社会とは思えないほど、常識が違います。たとえば、人の命が羽根よりも軽いと思える時代です。

史記には族する(一族皆殺し)という動詞が、盛んに出てきます。
簡単に一族全て皆殺しになります。誰かに根拠のない誹謗中傷を言われるただけで簡単に一族皆殺しになります。ほとんど避けようがありません。

他人に殺されるだけではありません。皆、自ら簡単に命をたちます。
敵に信用される目的のためだけに自分の手を切り落とし、自分の妻子を殺した人間もいます。
恐ろしく簡単に人が死んでいく世界です。現代のアニメより、よほど簡単に人が死にます。
身分の低いものも高いものも簡単に死にます。
敵を降服させた後、兵糧がないからと敵兵40万人を生き埋めにした名将軍白起。その白起もやがて讒言が元で簡単に殺されてしまいます。
権勢を極めたもののほとんどは、最後に悲惨な末路を迎えています。

人の命が軽いのが良いと言っているわけではありません。命が恐ろしく軽い時代だからこそ、生き長らえることの難しさ、貴重さが際立つのです。だから、史記は深く面白いのです。

蘇秦張儀の弁舌は、二千三百年の時と漢文という二重の言語を通してさえ、日本人の我々にも雄弁さを感じさせますし、始皇帝、李斯などの稀代の名君名臣のカリスマ性、有能さは史記の行間から嫌というほど伝わってきます。また、その裏にある彼らの心の闇の深さが途方もないこともひしひしとわかります。

人間としての濃さ、ホモ・サピエンスの極限の形を見ることができるのが中国戦国時代の物語です。その中でも私が最も気に入っているのは、伍子胥列伝第六です。



伍子胥列伝は史記の70の列伝の中で6番目にあります。単独の列伝としてはなんと司馬穣苴についで二番目です。(伯夷も単独のようなものですが)

あの老子でさえ韓非子とセット、孫武(孫氏)でさえ呉起とセット、仲尼(つまり孔子)弟子は、伍子胥より下位の第七です。
昨日書いたことと重複しますが、司馬遷や当時の人達が、いかに伍子胥を高く評価していたかが伺えます。

この伍子胥列伝はまた全体の構成及び文章の完成度が高く、登場人物が生き生きと描かれています。司馬遷は元々こういう志半ばに倒れる人物の描写が得意だったとも言われますが、この伍子胥列伝はあの名文のほまれ高い項羽本紀に次ぐくらいの出来ではないかと思います。

私が伍子胥列伝を好きなのは、この文章の完成度の高さに加え、激情の人伍子胥自身の魅力、また登場人物たちの凄まじいエネルギーを感じるところです。

欲望に負け、息子の嫁を奪った楚の平王。権謀術数に長けた費無忌。死ぬと分かっても正道を貫いた伍子胥の父と兄。野心と実行力を備えた王、闔廬。泣きのワールドチャンピオン、申包胥、伍子胥に負けず劣らない激烈な復讐鬼、勾践。中国戦国時代きっての名臣にして、例外的に子孫を生きながらせた奇跡の人、范蠡。

濃い人間が次々に排出された戦国時代でも、この伍子胥列伝ほど、激烈な人間が次々に登場するストーリーはないと思います。

今回、改めて読みなおして気になったのは下記のシーンです。

伍子胥は命からがら楚国から逃げだし(正確には鄭を経由)、追手に捕まりそうなところ、なんとか長江にたどり着くと… 

至江,江上有一漁父乘船,知伍胥之急,乃渡伍胥。伍胥既渡,解其劍曰:「此劍直百金,以與父。」父曰:「楚國之法,得伍胥者賜粟五萬石,爵執珪,豈徒百金劍邪!」不受。

拙訳は以下のとおりです。

伍子胥は長江に至った。長江の水上で漁船をあやつっている漁師が一人いた。漁師は伍子胥の危機を知って、長江を渡してやった。伍子胥は向こう岸に着くと、持っていた剣を体から外してこう言った。「この剣は金に変えれば百金になる。あなたに差し上げる。」漁師はそれに答えて言った。「楚国の法律では、伍子胥を捕まえた者は五万石の領地と爵位を得られることになっている。(それなのにどうして)百金の剣ごときのもの(を受け取る)か。」そして漁師は剣を受け取らなかった。

この漁師が何を思って剣を受け取らなかったのかは謎が深いです。

  1. 漁師は無欲だったので、見返りは望まなかった(一般的な解釈) 「ワシは見返りが欲しくてあんたを助けたわけじゃないんじゃよ。」
  2. 漁師にはもっと大きな望みがあったので、百金の剣や(本当にもらえるか定かではない)爵位ごときに興味はなかった。「俺を見くびるな。俺には大望がある。百金の剣や爵位ごときで動かされる俺ではないわ。」
  3. 実際には漁師は伍子胥を捕まえそこね、後にそれを悔やんで負け惜しみでこう言った。「俺は伍子胥を捕まえることも可能だったが、わざと見逃してやったんだ。」その言い訳が事実として後の世に語り継がれた

現実には 3 ではないかと思っているのですが、春秋戦国時代なら 2 の可能性も大いにありそうです。もし、2 だとすると、その漁師はその後、呉の宰相となった伍子胥に取り立てられていてもおかしくないわけで、それを考えると想像がどんどん膨らんでいきます。

また、今ではすっかり有名になった「死者(屍)に鞭打つ」ですが、以下のシーンです。

及吳兵入郢,伍子胥求昭王。既不得,乃掘楚平王墓,出其尸,鞭之三百,然後已。
(略)
伍子胥曰:「為我謝申包胥曰,吾日莫途遠,吾故倒行而逆施之。」

呉の軍隊は(楚の首都の)郢に入場した。伍子胥は昭王を探したが捕まえられなかった。そこで、平王の墓を掘り起こし、死体を出して鞭打ち、3百回でようやく止めた。
(伍子胥のかつての友人、申包胥がそれを非難したのに対して)
伍子胥はこう答えた。「申包胥に伝えて欲しい。日は暮れてなお道は遠い。だから、私は天道に逆行することさえも急いで行うのだ。」

「日暮れて道遠し」も、また有名な言葉ですが、その後に続く「吾故倒行而逆施之」(故に我、倒行して之を逆施す)は意外と知られていません。

この「故に倒行して之を逆施す」の解釈もいろいろありえて面白いです。
墓を暴いて死体を鞭打つという異常な行為を後悔しているとも解釈できますし、逆に後悔などしておらず、なお復讐の心を失っていないと解釈することも可能です。

前者なら意訳はこうなります。「(日暮れて道は遠い。だから焦ってしまって道理に逆らうことを行なってしまったのだ。」
後者なら意訳はこうなります。「(日暮れて道は遠い。だから私には手段など選んでいる余裕はないのだ。」

そもそも「倒行」は急いで行う意味だそうですが、原文の「倒」という字はこの後の「逆」とセットで使われているのも意味ありげです。

また、このシーンは想像力をかきたてられます。当時の中国は土葬なので、楚王の死体は腐乱していたはずです。鞭を300回も打てば、腐乱した肉体はボロボロになりますが、骨までも粉々になったでしょう。
それでも到底満足できない伍子胥と、それをやらされる兵士の気分(物凄く嫌な仕事でしょうが、人の命など羽毛よりも軽い春秋戦国時代の中国ですし、なにせ将軍はあの伍子胥ですから命令拒否すれば、その次の瞬間に首をはねられてもおかしくありません)のギャップも想像するとなんだか笑いもこみ上げてきます。

私も、寒汰が死んだら寒汰の死体を骨が粉々になるまで300回、鞭打ってみましょうかね。
それを咎める人がいたら、「吾日莫途遠,吾故倒行而逆施之」と言ってみたいものですw

ま、そもそも寒汰が死ぬ以前に人彘とか炮烙のシーンにも想像力がかき立てられますが。
いやあ、やっぱり史記、特に列伝は面白いですね
読みだすと止まらないです。




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